【コラム】小森妙華のあたまの中 vol.4
リビングの窓を開けて外を覗かせてもらった。
家はたくさんの木々に囲まれていて、梅雨入り前の湿った空気が妙に心を落ち着かせてくれる。
ベランダには料理にアクセントを加えてくれそうなハーブや、子供たちの遊び道具。
ブリコラージュフラワーは見当たらなかった。
みんなのために
ーー (よっしー)自分のためにブリコラージュフラワーは作らないんですか?
「自分のためには作ってないね。最初にディプロマを受講していたときくらいかな。それだったら(花屋アイロニー)谷口さんにブーケ作ってもらえた方が嬉しい。自分の作品を自分にっていう感覚はもうないかな。誰かに喜んでもらった方がいいし。
私、自分のために何もできないんだよね。自分のためだったらご飯も納豆ご飯でいいし。」
ーー (よっしー)頑張った自分にご褒美などは?
「昔はそういうのがあったのよ、頑張ったからいいよねとか。でもそれってたぶん自分を犠牲にしている前提だったのよね。やらなくちゃいけないからやっているとか、本当はやりたくないけど自分しかやる人がいないからとやっていた時は、「あぁもうやだ」とか「ご褒美で」とか散財することがあった。
でも今はなくて。「頑張ってる自分?いや、普通やんね。」みたいな。頑張っているわけでもないというか。」
ーー (よっしー)周りから見たら頑張っているけれど、それが当たり前なんでしょうね。
「そう。たぶん自分を犠牲にしてやっていないんだよ。やりたくてやっているんだよね。だからご褒美とかないんだよね。今させてもらっていることが結構…
そこまで行ったんだろうね、いつの間にか。おそらくそうじゃなかったはずよ。この1年じゃない?変わったの。コロナが来て得たものを自分に落とし込んだんだよね。こういう感じで生きるんだって。」
「人のためにするとか社会を…と言われてもそんなことわからないじゃん。自分が生きるのに必死だし。自分のためじゃなくて外に向けてするとその先に得られるものがあるってよく聞くけれど、実感がなかった。
でも、コロナで会社が本当に危なかったけれどみんな不安だからと思って配信してみたら、大きな反響があった。そういうことだと思った。」
ーー (うがじん)自分しか見ていないと病むんだよね。他の人を見ると自分に構う時間がないからそれがいいらしい。
「そうよね。自分のことを気にする余裕が1分もないの。1分もないけれど、そこで無理してたらキツイでしょ。みんなに与えすぎて「ふーっ」ってなるのはキツイから、1分もない代わりに好きなことしか選ばない。付き合いたくない人とは付き合わないとか要らないものを排除して、自分が普通にいられる状態の中でやれる環境を作っているんだよね。だから無理がないし、疲れたら休むし。
それで何か言われても、自分のことって自分しかわからんしっていう開き直りというか、いい意味での図々しさ。たぶんそれを得たんじゃないかなと。」
ーー (よっしー)自分でコントロールしてですね。
「そう。でも目的は自分のためじゃなくて、結果みんなが良くなるっていうことを信じてやっているだけよね。それが本当になるかはわからないんだけど、きっとできるはずだと。」
たぶん自分を犠牲にしてやっていないんだよ。やりたくてやっているんだよね。
今させてもらってること自体がご褒美。
妙華さんを見ていると、華もみじスタッフの誰にも負けない熱意を感じる。
経営者は孤独だ、なんて話もよく聞くけれど、それでもスタッフを疑わずまっすぐな熱意で、その心でスタッフを動かす。
そして華もみじのお客様を信じている。そう感じた。
(つうしん部 よっしー)